書く理由
2025/01/01
四度目
2025年1月1日。人生で四度目くらいだがブログを始めようと思う。
一度目は中学生の時のAmebaブログ。北乃きいへの愛と、世界についての考えを中学生なりに考えて書いていた。今でも自分は見返せる状態なのだが、当時から根本は変わらないなと思う。社会はもっとよくできるし、それを自分がやるんだという気持ちは今も変わっていない。
二度目は大学時代にブロガーと知り合った時だった。その人の活動にはあまり興味はなかったが、社会生活が苦手で金欠な自分にはブログで稼げることが魅力的すぎた。まぁ結局、記事を数十本書いたが収益は1円も得られなかったのだが。しかし、インターネットに自分の考えや活動を公開すれば、どこかの誰かが読んでくれ、存在を肯定したり、応援してもらえた。この経験は人生を変えたなと思う。
ちなみにこの二度目のブログを更新しなくなってから数年後、母から「あなたのブログを私の知り合いの息子さんが読んで休学を決めたらしいよ」と言われた。どんな経緯で読まれることになったかを想像すると恥ずかしいのだが、自分の考えで誰かの人生がおそらく良い方向にズレたのだと思うと嬉しかった。
三度目は短い。さっき見返すと2本しか記事を書いていなかった。自己紹介が1本、もう1本は2019年にメンタルを病んだ時の記録だ。個人名も割と出してしまっていたので非公開にしたが結構生々しい内容だった。そういうものをふんわり公開し、読んだ人によしよしされたかったのだと思う。実際連絡をくれた人もいたしそれはありがたかった。
なぜ書くか
2020年末を最後に個人ブログを書かなくなった。その後も一年に一度くらいは note や Medium を書いている気もするが、それでもほとんどインターネット上に文章を書くことはなくなった。なぜ書かなくなったのかの答えは色々あると思うが、やっぱり「口だけで物を作っていない人間の言葉が嫌い」だからと思う。思想だけで世界は変わらない。思想ある良い物が世界を変える。物を作ってない人間の思想はだいたいしょうもない。そう思っているから創業後はブログを書くことをやめた。
でも、創業から4年半経った今、もっと書いておくべきだったと後悔している。そもそも自分は4年半アプリを作ってきているのでさっきの自分の基準でも書いててもよかったのだが、「どうせ後から変わるから考えがまとまった時に書けばいい」とか「まとまってない考えを公開しても舐められるだけでメリットがない」と思って後回しにした結果書かなくなってしまった。その結果この4年間の自分の考えたことや感じたことを忘れてしまった。これを少し後悔している。
ただそれだけではまたブログを書こうとは思わない気がする。綺麗に整理できてはいないのだが、多分自分は死ぬのが怖いからブログを書きたいと思っている気がする。自分はもう少しで28歳なのだが、自分の人生がもう3分の1くらい終わったのかと最近考えることが増えた。昔から死ぬことがすごく怖かった。この世から消滅すればもう二度と何も感じれない。これが本当に怖い。だから自分を少しでも残したいと思っているのかな。それに加えて二度目のブログで経験した、自分の考えをインターネットに公開することで誰かの人生が少し変わるというのを期待している気がする。そうすれば自分が生き続けていける気がするから。
死後も誰かに影響するために書くのだと大それたことを言ったがあまりハードルは上げたくない。実際書くことといえば仕事や生活の中で気づいたことや考えたことについてだと思う。でも、どこかの誰かが読んで人生が変わったと言ってくれたら成仏できるかもしれない、そんな気持ちで書くと思う。だから Twitter にわざわざリンクを貼ることもしないと思うし、バズってほしいと微塵も思っていない。継続読者を想定しないので投稿全体に統一感もないはず。本当に雑多な自分の頭の中をインターネット上に公開し、それがいつかどこかの誰かの人生をちょっとずらす。それが未来永劫続くのだと思えたら自分は少し気持ちが楽になる。そのためにこれからちょっとずつ書いていこうと思う。